
毎月の研修は加盟店の店内で実施することもあります。

ゼミナールでの分科会です。

最新の学術発表などを受講し専門的な知識を深めます。

湧永製薬の営業からの提案についてディスカッションしています。

実際の商品を手に取って勉強します。

加盟店の成功事例発表について研鑽します。
| 1月 | 正副会長会、常任理事会、理事会、連長会など |
|---|---|
| 2月 | 正副会長会、部会長会など |
| 3月 | 春季ゼミナール |
| 4月 | 春季ゼミナール |
| 5月 | 正副会長会、常任理事会、新入会員セミナー |
| 6月 | 連長会 |
| 7月 | ヤング全国大会、連長会、日本在宅薬学会学術大会 |
| 8月 | 正副会長会、常任理事会 |
| 9月 | 秋季ゼミナール |
| 10月 | 日本薬剤師会学術大会、正副会長会、常任理事会、来期連長会など |
| 11月 | 来期常任理事会など |
| 12月 | 歴代会長会 |

今回は、関東第一連合会・長野第2部会の山崎薬局を訪ね、山﨑正衛先生にお話を伺いました。関一連では「塾長」として親しまれ、特に『鼎の物差し』の学びを伝える存在としても知られる山﨑先生。お店の歴史、地域の魅力、日専同との関わり、そしてこれからの薬局づくりについて伺いました。今回はインタビュー形式でお届けいたします。
◆山崎薬局のある長野県中野市はどんな街?
早川 まず、山崎薬局さんのある長野県中野市について教えてください。全国の先生方には「長野県」のイメージはある程度浮かんでくるとは思うのですが、先生のお店がある中野市はどんな特徴のある街なのでしょうか?
山﨑先生 中野市は、善光寺のある長野市よりも北にあります。志賀高原の入口にあたるような場所ですね。人口は大体4万人くらいです。
特徴としては、えのき茸の生産量が日本一なんです。大きな工場が一つドンとあるというより、きのこ工場や培養センターのような施設が市内にいくつもあって、地域の産業を支えています。
あとは、りんごをはじめ果物の栽培も盛んです。
早川 毎年連合会の皆勤賞でプレゼントしてくれるりんごですよね?あのりんご、本当に美味しいですよね。関一連ではおなじみでみんな楽しみにしていますよね〜
ちなみに中野市はきのこ、りんごなどのほかにも名物がありますか?山﨑先生 調べてみたら、芍薬の花の生産も日本一だそうです。それから「バラ祭り」も有名です。地元の青年会議所が始めたもので、中野市の大きなイベントになっています。
文化面では、東京音頭を作曲した中山晋平さん、唱歌「ふるさと」の作詞をした高野辰之さんの出身地でもあります。それぞれ記念館もあります。
それから、何と言っても久石譲さんも中野市の出身です。ジブリ映画の音楽などで有名ですよね。私の高校の大先輩にあたります。
早川 それはすごい方ばかりですね!
◆山崎薬局の歴史
早川 つづいて先生のお店の歴史についてお聞きしたいのですが、山崎薬局さんは、山﨑先生で何代目になるのでしょうか?
山﨑先生 私で3代目です。祖父が開局しました。
早川 開局はいつ頃ですか?
山﨑先生 調べたところ、昭和24年です。戦後間もない頃ですね。最初から「山崎薬局」という名前で薬局を始めたようです。
早川 おじいさまが始められて、お父さまが継がれて、そして現在は山﨑先生が3代目として続けていらっしゃるわけですね。
山﨑先生 はい。そして父の代で日専同に入会させていただきました。
早川 昔のお店は、いわゆる町の薬屋さんという形だったのでしょうか?
山﨑先生 そうですね。昔はOTC中心の町の薬屋でした。大きく変わったのは、私が薬科大学を卒業してドラッグストアで働いていた頃です。地元のJA系の総合病院が院外処方箋を出すことになり、「調剤が忙しくなるから帰ってこい」と父に言われました。
それが今から約30年前です。そこから本格的に調剤が始まり、お店の形態も大きく変わりました。
早川 それまではOTC中心だったところに、調剤が一気に加わったわけですね。
山﨑先生 そうです。しかもその頃、祖父が倒れて介護も必要になりました。母もそちらに手を取られましたし、慣れない調剤も始まって、お店としては大きな転換期でした。
◆日専同との出会いと関わり
早川 お父さまが日専同に入られたのは、先生が山崎薬局に戻られる前ですか?
山﨑先生 はっきりとは覚えていませんが、私が高校か大学の頃だったと思います。薬科大学に行っている最中に実家へ帰ったら、今まで見たことのない商品が置いてあって「何これ?」と思った記憶があります。
ドラッグストアに勤めていた頃、疲れたと言ったら父がレオピンファイブを送ってくれたこともありました。
早川 先生ご自身が日専同に本格的に関わるようになったのは、いつ頃ですか?
山﨑先生 32歳くらいだったと思います。父が股関節の手術をすることになり、しばらく会合に出るのが難しくなったので、「ここで代わろう」ということになりました。最初は父の代わりに出るような形でしたね。
早川 当時はまだ西関東連合会の時代ですよね。
山﨑先生 そうです。記憶にあるのは、当時連長をされていた橋本先生が家に来られたことです。その時はどれほど偉い先生かもわかっていませんでしたが、父に聞いたら「連合会長の先生だよ」と言われて、そんな偉い先生がわざわざ店に来てくれたことに驚いたのを覚えております。
◆日専同スイッチが入ったきっかけ
早川 日専同の活動の中で、「これは面白い」「もっと頑張ろう」と日専同スイッチが入ったきっかけは何かありますか?
山﨑先生 やっぱりヤングですね。当時は「とにかく300本やるぞ」という空気がありました。メールで販売実績の報告がどんどん上がってきて、みんなで切磋琢磨していました。上げていないと「誰がまだ上げていないんだ」という感じで、小坂先生からツッコミが入ったりして、良い意味で厳しかったですね。
早川 当時の西関のヤングは本当に勢いがありましたよね。
山﨑先生 そうですね。自然とエンジンがかかりました。みんなで競い合いながら、でも励まし合いながらやっていたと思います。
その後、宮野先生がヤング部長の頃だったと思いますが、数字をより細かく見るようになりました。気合いだけでなく、毎日の目標や数字をきちんと追いかける大切さを学びました。
◆『鼎の物差し』と山﨑塾長
早川 さて、山﨑先生といえば、何と言っても関一連ではやはり『鼎の物差し』の印象が強いですよね。『鼎の物差し』を深く学ぼうと思ったきっかけなどあったんでしょうか?
山﨑先生 もともとは、西関の時に「鼎塾」という新人研修会があり、それが一つのきっかけになったと思います。当時連合会の学術部長をされていた阿久津先生がやってくださっていました。
その後、長野エリアのヤングの勉強会でも症例検討や課題を持ち寄る中で、いつの間にか『鼎の物差し』を扱うようになりました。難しい部分もありますが、読んでいくと面白いところも多いんです。
早川 山﨑先生は、関一ヤングで『鼎の物差し』を学ぶ場である「三心塾」のテキストも作られましたよね。
山﨑先生 はい。当時のヤング部長の宮野先生、そして現在連合会長をされている鈴木貴久先生からの流れの中で、「三心を伝えることがヤングとして大切だ」という話になり、三心塾を作ることになりました。
その時に、私を中心にテキストを作ることになったんです。たくさんの先生方のご指導とご協力をいただきながら、本当に頭を抱えながら作りました。
早川 あのテキストは、テーマごとに設問もあって、かなり実践的でした。『鼎の物差し』を学ぶうえで、とても貴重な資料だと思います。ぜひ、いつか資料としてまとめ直していただきたいです。関一連の財産になると思います。
◆現在の山崎薬局について
早川 現在の山崎薬局さんは、調剤とOTC・健康相談の両方をされている形ですよね。
山﨑先生 はい。ただ、現在は調剤が8割くらいです。昔からのOTCのお客様は年齢も高くなってきていますし、大手ドラッグストアの影響もあり調剤も今後だんだん厳しくなっていくと思うので、相談薬局としての部分をもう少し広げていきたいという思いはあります。
早川 山崎薬局さんは、先生の奥さまがお店に入られてから、雰囲気がとても変わった印象があります。
山﨑先生 それはあると思います。昔からの常連さんや同級生にも、「お店の雰囲気が変わったね」と言われました。私は絵心がないので、ブラックボードなどは妻が上手に書いてくれています。
早川 そう言えば奥さまは、もともと病棟勤務のバリバリの看護師さんですよね。
山﨑先生 そうなんです。医療の現場にいた経験があるので、病気のことや患者さんの気持ちに対する反応がとても自然です。
特に「寄り添う」という面では、私以上にできていると思います。去年、登録販売者の試験にも合格しました。これまでは相談に乗っても、最後に薬を販売する時は私が出ていく必要がありましたが、今は妻も自信を持って提案できるようになりました。
早川 看護師としての経験と、登録販売者としての知識、そして女性目線の売り場づくりが加わったのは本当に先生とお店にとって大きいですよね。
山﨑先生 本当に、山崎薬局も私も妻に支えられています。
◆これからの山崎薬局
早川 調剤と健康相談の両立は、日専同の多くのお店でも課題になっています。山崎薬局さんは以前からその両方に取り組まれていますが、やはりいろいろ難しいことも多いでしょうか?
山﨑先生 もちろんいろいろありますね。今年は特にOTCの数字が少し厳しいです。レオピンの本数も落ちています。やはり新規を取ることが最大の課題です。
ただ、私が新規推奨販売した後のフォローは、妻がかなりやってくれています。そこはとても助かっています。
早川 調剤が忙しい中で、相談の時間をどう確保するかも大きな課題ですよね。
山﨑先生 そうですね。できるだけ時間を決めて相談に来てもらうようにしています。午前中に急に来店されると、調剤が忙しくて対応が難しいこともあります。
調剤も、在宅やジェネリックの使用率、各種加算など、だんだん複雑になっています。個人薬局としては大変ですが、だからこそ日専同的な提案ができるようにしていく必要があると思います。
早川 最後に、これから山崎薬局をどのようなお店にしていきたいか、先生の目標を教えてください。
山﨑先生 漠然としていますが、調剤と相談薬局の両方で、これからも地域の方に喜んでいただける、お役に立てる薬局でありたいと思っています。
具体的な目標としては、レオピンを月300本、安定して達成できるようにしたいです。そこからさらにステップアップできればと思っています。
早川 山崎薬局さんのように、調剤もあり、健康相談もきちんとできるお店は、地域にありそうでなかなかないと思います。
山﨑先生 ありがとうございます。夢のまた夢かもしれませんが、いつかは「三実践」をできたらいいな、という思いもあります。
早川 お互い1・5実践とか、2実践ぐらいが続いておりますので(笑)ぜひ一緒に頑張りましょう。本日は貴重なお話をありがとうございました。
山﨑先生 ありがとうございました。
記者/早川弘太(関一連情報部長)

今回、関東第三連合会から「バラエティードラッグつるや薬局」をご紹介します。お店が営業されている羽生市は、関東地方のほぼ中央、埼玉県の北東部に位置し都心から60㎞、北に利根川を挟んで
群馬県に隣接しています。茨城県や栃木県にも近い地域です。
お店は、東武鉄道と秩父鉄道の接続駅である羽生駅から北東へ約700m、市立羽生北小学校の隣で、昭和9年に家庭用品全般を扱うバラエティーショップとして創業されました。当時は日用品メーカー花王の商品を卸す代理店もされていました。その後、三代目の齋藤充功先生が薬科大学を卒業し、横浜市内の大手ドラッグストアに勤務されたのちにお店へ戻られます。奥様も薬剤師であることから、昭和63年に店舗をドラッグストアへと変更、現在の店名となりました。建てたばかりの店舗を取り壊して業態転換を決断されたのは、お母様の強い意志によるものだったそうです。もしこの決断がなければ、現在の日専同とのご縁もなかったのかもしれません。
『恵気素』掲載用の写真撮影のため店舗を訪問した際、まず驚かされたのは個人店でありながら取り扱い商品の多さでした。一般的なドラッグストアのように先端をいく商材だけでなく、他では見かけないような「浅間神社の初山のうちわ」「地鎮祭に使う縄」「結納用品」など先代から取り扱っていた商品や「地域密着」という言葉だけでは表現しきれない独自の品揃えが印象的でした。これは、お客様の要望に応える品揃えを追求したバラエティードラッグつるや薬局ならではのスタイルです。
店内の随所に湧永製品がPOPとともに陳列されており、目的の商品を探しているお客様の視線に自然と入る配置が工夫されています。日用品や歯ブラシなどを探していると、並びにある湧永製品が目に入り、「これも良さそうだ」と思わず手に取ってしまうような〝プラスワン〟の仕掛けが随所に見られました。店内写真にもあるように、レオピンシリーズやプレビジョンシリーズは複数箇所に配置され、お客様の目に留まりやすい売場づくりがされています。
取材中に齋藤先生がお客様にお声がけをされると、パートの日高さんが手際よくレオピンロイヤルを計量スプーンで1mL計量し、お出ししています。その時一緒にプレビジョンなどを載せる小皿は、先生がリフレッシュのために何度も訪れた屋久島の焼き物です。落ち着いた色合い、形で店主の雰囲気に重なります。甘い生姜湯をお出ししながら、近況をお話する中で、必要に応じてロイマン湯をご紹介しています。ロイマン湯の月間販売数では部会内でトップの成績をだされています。
「店内は商品でいっぱいなので丸テーブルを置くスペースがないのですが、椅子はあちこちにあるのでどこでも座ってお話しできますよ」と話される通り、部会LINEで見た血管美人や骨密度測定会の画像が、まさにこのレジ前の限られたスペースだと感心、納得させられました。
現在は齋藤先生ご夫婦と、長男の大悟さん、三男の功太さん、パートさんでお店を運営されています。店頭販売に加え、市内の病院や学校関連施設への納入もあり、ご子息たちの力も存分に発揮されています。お店には、主に主婦層の方々が多く来店されますが、夕方には近所の小学生達も駄菓子を買いに訪れる賑やかなお店です。先代の時代からずっと通われているお客様も多く、ほとんどのお客様のお名前、家族構成を熟知して家庭の健康状態を把握されています。来店されたお客様にお声掛けし、生姜湯を出して、ゆっくり会話を楽しみながら家庭状況や環境を聞き、的確なアドバイスをされています。ご夫婦ともに薬剤師なので、各々が非常にきめ細かく相談に対応できます。そのため、体調を崩した時に病院へいくよりもまずは、つるや薬局に相談すると言うお客様が後を絶たない程に、地域の皆さまから厚く信頼されています。足腰の弱った高齢者のお宅には配達をしています。その際に家族の一員の様に健康相談にも応じています。
特に印象的だったのは、入院患者様からの注文対応です。看護師さんが患者様一人ひとりの注文を取りまとめてFAXで送られ、数百円程度のティッシュや飲料などの注文でも個別に商品を揃えて病院へ納入されているとのことでした。このような対応をされている薬局は、初めて耳にしました。地域の皆さんがつるやさんをどれほど頼りにしているかを実感するエピソードです。
私と齋藤充功先生とは、平成元年につるや薬局さんが同じ埼玉薬業協同組合に加入された頃からのお付き合いです。その頃から親しみを込めて「つるやさん」とみんなから呼ばれていました。長年、お店の柱商品としてキヨーレオピンの取り扱いを薦めてきましたが、8年前にやっと重い腰をあげられてからは、同じ埼玉2部会で共に切磋琢磨しています。勉強熱心で着々と取扱商品も増やしてきています。
今年から部会長となり、部会を牽引する立場となりました。2月に日専同幹事会に初めて参加、大きな刺激を受けられたそうです。それ以降、毎月の部会内容をこれまで以上に学術的な勉強をするために「かなえチャンネル」を活用しています。部会には齋藤和也日専同会長もいらっしゃるため、日専同流の健康指導をさらに深められる環境にあります。一方で、年間達成へのプレッシャーも大きい部会を、運営されるご苦労は大変なものと想像します。
この様につるや薬局さんの取り扱い商品は、特殊で希少だったり、そして、個人に寄り添った対応まで、その姿勢は簡単に真似できるものではありません。皆さんの周りにも、このような〝レア〟なお店はあるでしょうか。
今回は、埼玉2部会部会長のお店「バラエティードラッグつるや薬局」さんをご紹介しました。
記者/藤本 博(関三連情報部長)

今回中国連合会からご紹介する薬局は、島根県出雲市で調剤薬局を経営されている「つくし薬局」様です。
私事ですが、今年情報部長になり初めてのお店探訪記を担当させて頂くにあたり、日専同歴がほぼ同じで、異業種参入からの相談薬店店主である私には未知の世界である、調剤薬局という形態の薬局に関心があり取材先に選ばせて頂きました。
出雲市は人口約17万1千人で松江市(20万3千人)につぐ島根県第2位の人口の町です。
薬局はJR出雲市駅から北へ約3km、一畑電車「高浜駅」から徒歩3分の住宅街に位置し、出雲大社まで車で約10分の距離にあります。
つくし薬局様は、内科・胃腸科・小児科を有する地域密着型の診療所の門前薬局で、2002年10月、代表の勝部先生が40歳の時に保険調剤メインで開局されたそうです。それまでは、医薬品卸の管理薬剤師、個人病院の病院薬剤師、外資系製薬会社のMR、調剤薬局勤務薬剤師と様々な形で医薬業界と関わってこられましたが、せっかくなら地域に根ざした薬局を経営したいとの想いで開局。主に調剤窓口業務、在宅業務、一般薬販売と薬局に求められる業務を積極的に行っておられ今年開局24年になられます。
日専同入会のきっかけとなったのは4年半前だそうで、湧永製薬様よりレオピンのサンプル希望ハガキと会社案内のDMが届いたことでした。子供の頃レオピンをおばあさまが服用していた事を思い出し、かねてより調剤以外で薬局の収益、軸になるものを探していたこともあり、すぐにサンプル希望のハガキを出したそうです。そこから湧永製薬様の訪問が始まり商品説明を受けた末入会を決められたのだとか。
入会後はよく理解しないまま、とにかく3年で年間600本達成を意識して取り組まれたそうです。販売実績だけでなく研修会への参加ポイントも必達という厳しい条件には、地理的な条件もあり苦労されているようですが、同じ部会の先生方からレオピンの販売ノウハウはもちろん、一般薬に関する情報や知識を教えて頂ける環境はすばらしく、日々の窓口業務の参考になっており、処方箋調剤だけでは味わえない喜びを感じておられるそうです。
最近も、70代の女性患者様から、「ここは調剤だけでなく色んなものが置いてあって、相談もできる所なんですね!」と言われて嬉しかったそうで、「目指すは処方箋なしで入れる相談薬局」だとか。 特徴的な窓枠など木の温もりが感じられる薬局内。午後の暖かい日差しが降り注いでおり、高い天井のせいか実際の平米数よりも広く感じました。入ってすぐ目にとまるのが、一番目立つ場所に掲示してある手書きのレオピン価格表。お客様もサイズや種類を選びやすく、当たり前のように掲げられているそれは基礎薬としてのレオピンの位置づけを象徴するようなものでした。レジ横に温水両用のウォーターサーバーを設置しセルフサービスにすることで、気兼ねなく水分を摂れるようにされていることも心遣いを感じました。薬局内のブラックボードは販促ポイントで昨年10月に交換したものだそうですが、月に一度のペースで更新され、薬待ちの患者様がよく見られているそうです。
最近は、レオピンともう一品という想いからグリーン末を重点品目とし、セールのタイミングで思い切って48箱注文。POPとともにお試し5日分セットを用意し、気に入った方が90包入を購入される際には“3か月以内の購入で10%引きになるクーポン”をつけることで継続意識の訴求につながっているそうです。取材時にはもう残り数箱になっていました。すごい!
この日スタッフさんは4名(薬剤師2名、事務2名)で、基本的にはいつも先生を含めた5名で運営されているそう。先生いわく、「うちの処方箋枚数でこの人数は多いんだけど、待ち時間に様子を聞くなど患者さんを一人にさせないことを意識していて、手厚い声掛けをする為なんだよ」とのこと。「あとは自分が遊びに行く為でもあるけどね」と笑っておられました。
スタッフさんもみなさん朗らかで先生とのやりとりをみても日ごろの関係性の良さを感じました。人員に余裕があると、手厚いサポートができるだけでなく働き方においても無理がなく、その雰囲気は薬局全体をよい気で包んでいるように感じました。
取材のあとに、近所の珍しいパワースポットに連れて行って頂きました。「粟津稲生神社(あわづいなりじんじゃ)」といって、全国で20か所しかない「稲生」と書くお稲荷さんで、田園の中にある住宅地にあるこぢんまりと佇む稲荷ですが、珍しいのは名前だけでなくキレイな朱色の鳥居が並ぶ参道をローカル鉄道の一畑電車(いちばたでんしゃ)の線路が貫いているのです。見たこともない光景に感動しスマホを向けると突如警報機がなり遠くからゴトンゴトンと電車が。映画「RAILWAYS」でも使われたオレンジ色のレトロな車両がゆっくりと眼前を通過していきました。島根県といえば冬は曇天が多いイメージだったのですが、この日はぽかぽか陽気の一日で、出雲のパワーをより感じたのでした。
先生は今年から島根部会の部会長になられました。ぜひ一緒に中国連を盛り上げていきましょう。この度は取材にご協力頂きありがとうございました。
記者/鳥井加奈(中国連情報部長)